Labo_No.552
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「自分の体のことは自分が一番よくわかっている」よく言われることだが、私もそう思っていた。だからしばらく健康診断を受けずにいた。中年になってから体重が増え続け、メタボだの何だのととやかく言われたくない、というのも正直な気持ち。ところが2022年9月、虫の知らせというか、ほんの気紛れで市の無料健診を受けてみた。すると、クレアチニン値がなんと3・0・46~0・82)、医師に「このままでは透析ですよ。すぐに腎臓内科を受診してください」と、キツく言われてしまった。さっそく大学病院の腎臓内科を受診した。紛れもなく「腎不全」とのこと。以後、3カ月ごとに通院することになった。アチニン値がついに4を超え、「そろそろ透析の準備を」の宣告を受けた。加えて「腎移植も視野に入れてはどうか」という提案もされた。腎移植……。医学が進歩した今では、夫婦ならたとえ血液型が違っても移植ができるそうだ。いるときに、迷いながらも素直に医者に言われたことを夫に報告した。すると、夫はまるで「そのパンちょーだい」とでも言われたような軽さで、「いいよ」と言うではないか。「それでなおちゃんが長生きできるなら、僕の腎臓あげるよ。これでやっと人のためになることができるんだな」。それから1年後の受診日、クレ翌日、朝食のトーストを食べて夫は現在、絶賛失業中。常々、「自分という人間は、まったく世のため人のためになっていない」と、悩んでいたらしい。そのときから、夫と私の腎移植への道がはじまった。クロスマッチ検査を筆頭に内視鏡、渡って夫と私はありとあらゆる検査をした。結果、腎移植に GOサインが出た。望んでも、5割の人が何らかの理由であきらめなければならないというのに。2024年5月23日、私たち夫婦は手術台に上がり、腎移植手術を受けた。夫のちょっと大きめの立派な腎臓が、私の膀胱や血管とつながった。自分自身の腎臓はそのままだったので、その日から私は「腎臓を3つ持つ女」となったのだ。C T、超音波と、数カ月に当然、治療はつらかった。ICUから3日間も出られなかったときは精神的に追い込まれもした。でも、移植チームや病棟のスタッフなど多くの人に支えられて乗り越えた今、感謝の気持ちしかない。クレアチニン値も、1以下で安定している。あの日、何かに背中を押されるようにして受けた血液検査によって、私は現在透析をすることもなく元気に日常生活を送っている。夫の腎臓が、私の体の中でがんばってくれているおかげで。どんな高い宝石よりも、洒落たブランドバッグよりも、夫は私に何物にも代えがたい最上級の贈り物をくれた。その贈り物を決して無駄にせぬよう、私はこれから夫を大事にしながら死ぬまで1日1日を慈しみ、充実した日々を送りたいと思っている。いや、絶対にそうしなくてはならない。夫はもちろん、私と関わってくださったすべての方々に恩返しするために。夫からの贈り物令和6年度「第検25回査一が般公く募エれッたセイもの」浦直子(65歳/神奈川県)入賞作品紹介最優秀賞令和6年度第25回一般公募エッセイは、全国から140編の作品が寄せられました。日衛協広報委員会において厳正に審査し、入賞作品を決定しました。今号では栄えある最優秀作品を紹介します。84にまでなっていて(基準値は17■ LABO – 2025.01

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