ょう尚し巴は志しに占拠された。1429年、尚巴志は南山も滅ぼし、沖熊本市に所在するこの城は「日本三名城」に数えられる。加藤清正が天正16年(1588)に豊臣秀吉よりこの地を19万5千石で与えられ、慶長12年(1607)に茶臼山に5層6階の大天守と小天守を備えた城を築いた。このとき地名を隈本から熊本とした。このほか49棟の櫓、18棟の櫓門、29棟の城門を造ったが、明治10年(1873)西南戦争のときに大半を焼失。現在ある天守は外観復元である。またこのほか熊本城を代表する現存の宇土櫓などがある。加藤氏改易後、明治維新まで細川家の居城であった。本丸御殿は平成20年に復元され公開されている。中に昭君之間・大広間などがある。見どころは高石垣の「武者返し」と呼ばれる独特な急勾配を持つ石垣など、天守の四面に造られている千鳥破風と唐破風が特徴的である。平成18年の熊本地震により天守など多くが被害を受けたが修築、大・小天守は令和3年に外観復元された。世界遺産に登録されているこの城は、13世紀按あじ司の時代の築城とみられ、14世紀、中山・南山・北山の三国時代、北山の中心となったのが今帰仁城で、沖縄最大のグスクとして有名。大きさは首里城に並ぶ。1416年、北山滅亡後、中山から出た縄を統一し、琉球王国の始まりとする。この今帰仁城には沖縄本島北山の要として「監守」を置いた。縄張は主郭と9つの郭によって構成される。本丸には拝所(火の神)が置かれ、城内からは多数の中国、東アジアの陶磁器が出土している。薩摩藩の島津氏が琉球の城として最初に占拠したのがこの城である。城内には1月下旬から2月下旬にかけて寒緋桜が咲き、沖縄の桜の三大名所となっている。沖縄の城はグスクと呼ばれ、特徴的な石垣は華麗な曲線を描いて本土とは違う構成である。門も石の城壁でつくられ、グスクには拝所が必ずある。きじん ん スク 熊本城 「武者返し」と呼ばれる急勾配の石垣が独特 今な帰仁城グ薩摩藩が琉球の城として最初に占拠一度は訪ねたい日本の城2024.12 – LABO ■日本城郭史学会代表、日本城郭資料館館長、日本考古学協会会員。1947年生まれ。専修大学法学部卒。東京大学文学部大学院国史研究生。立正大学文学部講師などを歴任。東京都、福島県、茨城県、兵庫県などの発掘調査団長、担当者を務める。『戦国の城』全4巻(学研)、『復原図譜日本の城』『城郭古写真資料集成』(理工学社)、『江戸城』(東京堂出版)、『日本の城郭を歩く』全2巻『日本の名城』全2巻(JTB)、『城郭』(東京堂出版)、『鳥瞰イラストでよみがえる日本の名城』(世界文化社)、『一度は訪ねたい日本の城』(朝日新聞出版)、『城郭百科』(丸善出版)など著書多数。(にしがや・やすひろ)10今帰仁城の正門「平郎門」熊本城の宇土櫓と多聞櫓。後方は外観復元天守令和医新DATA別称 北山城築城年 13〜14世紀文化財史跡区分 国指定史跡、世界遺産住所 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101DATA別称 銀杏城築城年 1607年文化財史跡区分 国指定史跡住所 熊本県熊本市中央区本丸1西ヶ谷恭弘個性あふれる城熊本城 今帰仁城最 終 回
元のページ ../index.html#10