Labo_No.550
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チーム全員の最後まで諦めない気持ちが大逆転での金メダルにつながった。――初めて体操という競技を知ったのは何歳のときですか?萱 2004年のアテネオリンピックの体操競技をテレビで見ました。そのとき8歳でオリンピックも体操を見るのも初めてで、その演技はとにかくカッコよくて魅了されました。将来は自分もオリンピックに出て金メダルをとりたいと思い、すぐに近くの小さな体操クラブに自分の意思で入会しました。――アテネオリンピックで体操男子は団体総合で28年ぶりの金メダル。初めて見た体操競技のどこに強く惹かれたのでしょうか?萱 鉄棒で遊ぶのが好きだったし、自分の好みにマッチしたのだと思います。それにオリンピックも衝撃で世界の人々がスポーツで競い合うのは素晴らしいと思いました。金メダルってすごいな、体操って楽しそうだなと、子どもなりに思いました。やがて地元の体操クラブに入り、本格的に体操を始めましたが、最初は結果が出ず、ただ体操が楽しくてもっと上手くなりたい一心でした。でも、「いつかはオリンピックで金メダルをとる」という気持ちはずっと変わることがありませんでした。習志野高校に進み、体操部に入って全国大会や国際大会に出るようになりました。高2のときに急に結果が出るようになって、オリンピックが夢物語から現実になったような感じがしました。その頃は、先生に止められるくらい、ものすごく練習をしました。練習が好きだったし、嫌だと思ったことは一度もありませんでした。先生もやりすぎてケガをしたら困ると、心配で止めてくださったのだと思います。これまでで一番練習しました!――高校時代は、全国大会で個人総合優勝などの輝かしい記録を残して、順天堂大学のスポーツ健康科学部に進学。卒業後は大学院に進み、さらにスポーツ健康学を研究するために博士課程に進み、今春、後期過程を修了して博士号を取得されました。萱 自分が被験者になり、データをとりながら体操の技術の研究を進めました。自分の経験を生かせるし、研究者としてのキャリアを積むことは将来のためにもなると思い、大学院に進んだのです。2004年のアテネオリンピック団体で金メダルを獲得した日本の体操男子。その映像を見た8歳の少年は素晴らしさに魅せられ、自らも体操を始め、金メダルを目指します。努力が実って東京オリンピックに出場するも、惜しくも銀メダル。その悔しさを武器に、今年7月に開催されたパリオリンピックで、見事に団体で金メダルを手にしました。最後まで諦めずに、大逆転の末に念願の金メダルを手にした萱和麿選手を、千葉県印西市の順天堂大学さくらキャンパスに訪ね、オリンピックの逸話や今後の抱負をお聞きしました。オリンピックの体操で金メダル!大きな衝撃を受けた少年時代 42024.11 – LABO■2015年の豊田国際大会、あん馬で金メダル獲得小学生の頃。「練習することが楽しくて」4年後のロスへ向けて準備を始めました!

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