松江城山陰地方で唯一現存している天守 犬山城木曽川に面した断崖に建つ望楼型天守一度は訪ねたい日本の城島根県松江市にある亀田山に築かれた、4層5階の天守がある優美な城である。関ケ原合戦後、出雲・隠岐24万石の太守として堀尾氏が入り、慶長16年(1611)、吉晴の代に天守が竣工。天守は正面南側に付つら櫓があり、この付櫓を経由しなければ天守に入れない。天守を支える柱には寄木柱が多くある。本丸には南多聞櫓、二の丸と三の丸を結ぶ廊下橋(千鳥橋)、二の丸上段には南櫓・中櫓・太鼓櫓が復元されている。忠晴の代で嗣子がなく、京極氏、松平氏が入り明治維新を迎える。天守は平成27年(2015)に5番目の国宝に指定された。城下には小泉八雲の旧居と記念館があり、武家屋敷が残る通りは、この屋敷の中老塩見家から「塩見縄手」と呼ばれる。近くには7代藩主松平治郷(不昧)好みで建てさせたという茶室「明々庵」があり、また不昧公が家老有澤家の山荘に建てたという茶室の「菅田庵」もある。犬山城は日本最古の天守建築が残る城として、天守が国宝に指定されている。犬山城の前身は木之下城で、天文6年(1537)、織田信康が犬山に移築した。古式天守とされた望楼は古くみて元和6年体修理で判明した。天守二層大入母屋の屋根上には、大唐破風付きの廻縁望楼があがっているのが特徴である。木曽川に臨む平山城で、「後堅固の城」で難攻不落の城とされていたが、織田信長に永禄8年(1565)に攻略された。その後、池田恒興、秀吉、織田信雄、小笠原吉次らが入城後、家康は付家老の平岩親吉を城主に、元和3年(1617)には尾張徳川家の付家老成瀬正成が入り、以後、歴代成瀬家が明治まで続いた。明治4年(1871)の廃藩置県で天守以外は取り壊されたが、明治24年(1891)の濃尾大地震で天守は半壊したが修築し、城内を整備することを条件に犬山城を成瀬家に譲与した。個人で所有していたが、現在は財団法人に移管される。 ( けやぐ1620)、成瀬正成時代につくられたことが解10日本城郭史学会代表、日本城郭資料館館長、日本考古学協会会員。1947年生まれ。専修大学法学部卒。東京大学文学部大学院国史研究生。立正大学文学部講師などを歴任。東京都、福島県、茨城県、兵庫県などの発掘調査団長、担当者を務める。『戦国の城』全4巻(学研)、『復原図譜日本の城』『城郭古写真資料集成』(理工学社)、『江戸城』(東京堂出版)、『日本の城郭を歩く』全2巻『日本の名城』全2巻(JTB)、『城郭』(東京堂出版)、『鳥瞰イラストでよみがえる日本の名城』(世界文化社)、『一度は訪ねたい日本の城』(朝日新聞出版)、『城郭百科』(丸善出版)など著書多数。(にしがや・やすひろ)犬山城天守。日本最古とされる3層4階地下2階の天守松江城天守と付櫓2024.10 – LABO ■DATA別称 白帝城築城年 1537年文化財史跡区分 国指定史跡、国宝住所 愛知県犬山市犬山字北古券65-2DATA別称 千鳥城築城年 1607年文化財史跡区分 国指定史跡、国宝住所 島根県松江市殿町1-5西ヶ谷恭弘天守が国宝指定松江城 犬山城第10回令和医新
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