Labo_No.548
10/16

づく舎やり造)、茶庭に接する枯山水庭が残る。井伊家の城中で彦根城は滋賀県彦根市にある金こ亀山に築かれた井伊家の居城で、徳川幕府が天下普請で7か国12大名に手伝いを命じ、城の主要部を完成させた。慶長11年(1606)頃に天守が完成。国宝5城の一つである。築城資材の多くは戦国時代を代表する小谷城、長浜城などからの移築であった。中でも大津城は関ヶ原合戦の折、西軍に攻められても落城せず、天守は「縁起のよい天守」として彦根への移築となった。三層三階でさまざまな破風と窓が設けられ、付櫓と多聞櫓が付属している。城の本丸への正門にあたる天秤櫓には廊下橋が架けられ、本丸には太鼓門櫓、東南に鐘の丸、本丸南腰曲輪、北西に西の丸三重櫓と多聞櫓、北腰曲輪、人質曲輪(観音台)が連郭・悌郭併用の縄張で、平山城形式で連なる。また、佐和口門には二重櫓、多聞櫓、門続多聞櫓が残る。彦根城で特筆されるのは御殿建築が残ることだ。御殿建築のみならず付属庭園が完存している。姫路城は桃山時代を代表する遺構だが、近世城郭に不可欠の御殿(書院・数寄屋建築)、付属庭園・蔵建築はない。彦根城には御殿も庭園も残り、さらに 厩 (馬屋)と蔵・長屋までもが現存している。城主井伊家の日常の屋敷は槻御殿で、今日も楽々園には本格的な書院建築や、珍しい地震の間(耐震構造の身もの生活の場の一端が垣間見られる。槻御殿のある楽々園に対し、隣接する玄宮園は接客用の空間で、池泉を中心とする回遊式庭園となっており、本丸丘陵の樹林や天守、櫓群を借景とし、多くの数寄屋・茶庭が旧状のまま保存される。檜皮葺で残る厩は、番所が付属する全国城郭唯一の遺構で、江戸時代のまま残る遺構としては日光東照宮とここ彦根城のみで貴重な建築である。うまやんきさん 江戸時代の遺構を関ヶ原の戦いで落ちなかった「縁起のよい天守」を移築一度は訪ねたい日本の城10日本城郭史学会代表、日本城郭資料館館長、日本考古学協会会員。1947年生まれ。専修大学法学部卒。東京大学文学部大学院国史研究生。立正大学文学部講師などを歴任。東京都、福島県、茨城県、兵庫県などの発掘調査団長、担当者を務める。『戦国の城』全4巻(学研)、『復原図譜日本の城』『城郭古写真資料集成』(理工学社)、『江戸城』(東京堂出版)、『日本の城郭を歩く』全2巻『日本の名城』全2巻(JTB)、『城郭』(東京堂出版)、『鳥瞰イラストでよみがえる日本の名城』(世界文化社)、『一度は訪ねたい日本の城』(朝日新聞出版)、『城郭百科』(丸善出版)など著書多数。2024.09 – LABO ■城に隣接する回遊式庭園の玄宮園の池泉より見た「天守」(にしがや・やすひろ)天守の南面。各面には多くの破風とさまざまな窓があしらわれている令和医新DATA別称 金亀城築城年 1604年文化財史跡区分 国指定特別史跡住所 滋賀県彦根市金亀町1-1西ヶ谷恭弘堪能!彦根城第9回

元のページ  ../index.html#10

このブックを見る