Labo_No.545
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■LABO – 2024.06お笑いのネタに医師の経験を取り入れたらウケるように思うようになりました。――芸人に憧れても、自分自身がなろうというところには、たどり着かないと思うのですが。しゅんP 漫才師が何の道具も持たずにマイクスタンドの前でしゃべって帰っていく姿がすごくかっこいいな、芸人の輪の中に入りたい、芸人になったら人生おもしろそうだと思ったんです。――芸人になりたいと思いつつも、医学部を卒業。医師免許を取得されて研修期間の2年を終えて、芸人の養成所であるNSC(吉本総合芸能学院)に入りますね。しゅんP 研修医2年目のころは、夜になるとNSCに行こうと思うんですが、朝になると「いやいや、ばかげてるよな」って冷静になって……。それを繰り返す日々でした。――研修医の期間は、専門とする診療科についても考える時期ですね。しゅんP 消化器内科、内分泌内科、小児科を考えていました。大学の医局に入っていずれかの専門研修を受けるか、NSCに入るか、2つの道で迷っていました。――そこでNSCを選んだわけですが、決め手は?しゅんP 医局に入ったら、もうレールから外れるのは許されないと当時の僕は思っていて、人生を後悔しないためには、今NSCに入るしかないと思いました。NSCは1年間で卒業なので、その後、医局に入るということも考えていました。――NSCに行くと聞いたご両親の反応は?しゅんP NSCの合格通知が自宅に届いて、そこで初めて親は僕がNSCに行くことを知ったのですが、芸人になるというのは恥ずかしくて言えなくて、芸人ではなく作家コースに行くと言いました。親は、医師免許を取れているのだから「好きにしたら」という感じでした。父も一度建築関連の職についてから、医学部に入って37歳のときに医師になっているので、自分の経歴も考え方に影響していたのかもしれないです。――26歳にときにNSCに入り、憧れの芸人の世界はどうでしたか?しゅんP こんなに楽しいんだ、という感じでした。同期も先輩もそれまでの人生で出会ったことがない人たちだったから、一緒に過ごすのが楽しくて。ただ、お笑いに関してはネタをしても誰も笑ってくれなくて、厳しいなって思いました。――NSCにいた間は、医療から完全に離れていたのですか?しゅんP 最初は医学専門の参考書などを制作している会社でアルバイトをして、その後は企業健診や予防接種、献血会場などで医師としてもバイトをするようになりました。――NSC卒業後、そのまま芸人として活動されています。しゅんP 卒業オーディションで、NSCで組んだ相方と漫才をして首席を取ったんです。そこで順位が悪ければ医局に入っていたと思うのですが……。最初はうまくいかなかったのですが、講  5いう話をしたら、なぜそれをネタに生かさ師の先生に「26歳まで何していたの?」と聞かれて、「研修医をやっていて……」とないんだと。それからは、例えば桃太郎の臨床現場にも精力的にたずさわっている週3日は医師として東京近郊のクリニックに勤務している。しゅんPさんであることに気づいた患者から驚かれることもあるというお父さまは37歳で医師になったという異色の経歴の持ち主。お母さまは看護師

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