Labo_No.544
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状態は座っているだけでも小走りをしているくらいの心拍数。よく200m泳ぎ切りましたね」と言われました。――順調に回復していたのに悪化していることがわかり、ショックだったのでは?星 がわかって、ホッとした部分がありました。とはいえ、次のリオ五輪まで1年半という時期。競泳選手としてリオ五輪を集大成にしたいと考えていたので「なぜこのタイミングで……」という思いはありました。薬はずっと飲んでいましたが、疲労や精神的なストレスも関係するみたいで。結果を出し続けなければという無自覚のプレッシャーが、ストレスとなって溜まっていたのかもしれないです。――先生からの説明はありましたか?「薬の量を急激に増やすと体に負担が星 かかるから、時間をかけて様子を見ながら増やしていきましょう」と言われました。「わかりました」と病院を出たのですが、不安に押しつぶされそうになって、母に電話をかけたんです。泣きながら「もう引退したほうがいいのかな」って。母から、「泣いているくらいなら病院に戻って、先生にほかの方法はないのか聞いてきなさい」と。ハッとして病院に戻って先生にリオ五輪を集大成にしたいこと、そむしろ疲れやすさの原因のために早く復帰したいことなどを伝えました。そうしたら、手術で甲状腺を摘出する方法が一番早く復帰できる可能性が高いと提案してもらって。――お母さまはすごく冷静でしたね。星 いつも冷静なんです。母は、あるメディアに「娘には冷たいと思われているかもしれませんが、娘と一緒に不安になっていたら本人は余計に不安になるから、あえて冷静になるようにしています。もちろんいつも心配はしていました」と話していて、冷静な母に救われました。――手術を受ける覚悟はすぐに決まりましたか?星 はい。「1日でも早く手術を受けたいです」と先生に伝えました。 首のあたりを切開するので、術後は流動食なのですが私は2日目くらいから「普通のごはんにしてください」と言って(笑)。1週間は入院と言われていたのですが、5日で退院しちゃいました。ただ傷が回復するまで3週間はプールに入れなかったので、ストレッチをしたり、歩くようにしたりなるべく筋力や体力が落ちないようにしていました。――そして、2015年の世界水泳選手権では金メダルを獲得しました。星 自分でもびっくりしました。奇跡的な回復とも言われましたけど、私は手術によって適度に休養をとれたのがよかったのだと思っています。練習が順調にいっているときに休む決断をするのは難しいことなので、私はツイていました。――復帰後は環境を変えて、平井伯昌コーチの指導を受けるようになりましたね。北島選手や萩野公介選手など金メダリ星 ストと一緒に練習したことで、力を引っ張り上げてもらいました。でも正直、しんどかったです。金メダルを獲ってモチベーションがなくなってしまって、タイムも不調で。それを察した平井コーチが本番の2カ月前に声をかけてくれました。「金メダリストにしかわからないプレッシャーは必ずある。北島でも金メダルを獲ったあとは苦しんでいた。弱音を吐きたいときは我慢しないで言えよ」と。救われましたし、金メダリストを何人も育てている平井コーチの言葉には重みがあって覚悟が決まりました。苦しんで獲得したリオ五輪の銅メダルは、最高のご褒美だと思っています。――リオ五輪後、引退を発表されます。星 手術をしたあたりからほぼ決めていましたが、リオで心残りのないレースができて決意しました。――今も通院はされているのですか?    6手術による休養が好転し世界選手権で金メダルを獲得1年前からパラ競泳金メダリスト、木村敬一選手のフォームコーチに講演会で。「バセドウ病の啓発にも力を注いでいます」パリのパラリンピック競泳の代表に選ばれている木村敬一選手と。「すべて言語化しての指導は勉強になります!」2024.05 – LABO■

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