Labo_No.544
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すめられない。薬物治療(抗甲状腺薬)で、なるべく早く競技に復帰できるように薬の量を増やしましょう、と。私の気持ちをくんで治療を提案してくれました。――トレーニングはどれくらい休んだのですか?完全に休んだのは2カ月半です。甲状星 腺ホルモンの値が安定してから少しずつ復帰して、3カ月後くらいにはほかの選手と一緒に練習できるようになりました。 1歳のときに水泳を始めて、小学生のときから水泳教室の選手コースだったので、そこまで休んだのは初めてです。週に5、6日はプールで泳ぐという生活で、夏休みも合宿がありますし、学校の友だちよりも水泳教室の友だちと過ごす時間のほうが長かったくらいです。――そうなると、2カ月半の休養というのは、星さんにとって大きいですね。めちゃくちゃ大きな出来事でした。毎星 日プールで泳げること、好きな水泳ができることがどれだけ幸せなことだったのか。休養期間にそのことに気づけて、競泳に対する意識が大きく変わっていきました。どんなに練習がしんどかったり、泳ぎの調子が悪かったりしても、行きたくないとか休みたいとか、まったく思わなくなりました。練習できることが幸せなんだって。結果にもつながるようになっていきました。――2008年には北京五輪に出場されました。星 当時はオリンピックに出ることが目標で、決勝まで行けなかったのですが(200mバタフライ10位)、平泳ぎの北島康介選手が2連覇する瞬間を目の前で見たんです。はじめてほかの選手のレースを見て涙が流れて。私もオリンピックの舞台で人の心を動かせるようなレースがしたいと思いました。――そして4年後のロンドン五輪で、見事銅メダルを獲得されましたね。星 その前年の世界水泳選手権のときに0・01秒差でメダルに届かなくて。たった0・01秒ですけど、オリンピックでメダルを獲るにはもっと努力しないとだめなんだと教えられた気がしました。ロンドン五輪は世界選手権での悔しさや北京で抱いた思いをすべて出せたようなレースでした。メダルを獲れて純粋に嬉しかったです。その後も体調面は安定していて……。服薬を続け、2カ月に1回の通院のほか、合宿の前などには血液検査を受け、先生から「この数値なら思いっきり練習して大丈夫」と言ってもらえて、安心して追い込んだトレーニングができていました。――ロンドン五輪から2年後にバセドウ病が悪化したそうですね。星 2014年は国際大会が続いて、スケジュールがハードだったんです。五輪メダリストとして結果を残さないといけないという責任感もあるなか、秋の合宿で疲れやすさを感じるようになり、タイムは遅いのに疲労感はすごくあって。10月のアジア大会は人生で一番苦しいレースとなってしまいました。最後の25mは途中で立ってしまおうと思ったくらい苦しくて。何とか泳ぎ切りましたが、プールサイドに上がるのにも力が入らない。タイムも悪くて、これはただの不調ではないなと感じました。帰国して検査を受けたら、先生から「星さんの今のリオ五輪の会場にて。メダル獲得直後に平井伯昌コーチと■LABO – 2024.05 5 銅メダル獲得から2年後にバセドウ病が悪化。引退もよぎるリオ五輪から帰国直後に。空港でお母さまとのツーショット小学校3年生のころ。2歳上のお兄さまと

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