Labo_No.544
15/16

北から南から四国支部よりことがその名の由来です。忽那諸島の中で最も面積の広い「中島」は、温暖で雨が少ない瀬戸内気候にあり、島の斜面地をいかしてさまざまな種類の柑橘類が栽培されています。収穫期には温州みかんをはじめ伊予柑やカラマンダリン、紅まどんな、せとかなどが色づき、島全体がみかん色に染まるほどです。複雑な潮の流れに乗ってマダイやカレイ、メバルなどが生息する魚介の宝庫で、釣り好きのスポットとしても人気があります。島の南側にある「姫ヶ浜ビーチ」は約500メートルの白い砂浜が広がる海岸。周辺には宿泊施設やシャワー、更衣室などが設備され、夏には多くの海水浴客でにぎわいます。毎年8月には1986年(昭和61年)から続く中島の一大イベント「トライアスロン中島大会」が開催され、全国各地から“鉄人”が島に参集。スイム(1・5キロ)、バイク(40キロ)、ラン(10キロ)で熱い戦いが繰り広げられ、沿道では多くの島人が声援を送ります。選手やその家族は前日から島に宿泊し、前夜祭に参加するなど地元の人々との交流を楽しみます。「泰ノ山城跡」や「桑名神社」、松山市の天然記念物「大楠」など、中島の歴史を物語るスポットも点在する中島。柑橘類や海の幸などに舌鼓を打ちながら、自然と歴史豊かな地でのんびりしてはいかがでしょうか。愛媛県の北西沖合に浮かぶ忽く那諸島。平安時代から室町時代にかけて忽那水軍の拠点となっていたつなしょとうfrom North to South15■ LABO – 2024.05節句はもともと古代中国で生まれた行事で、季節の節目に災厄を防ぎ、健康や長生きを願うもので、端午の節句も邪気や魔物を払う厄払いの行事でした。端午の節句の風習が日本に伝わったのは奈良時代といわれ、貴族の女性たちが菖しょうぶ蒲や蓬よもぎを摘んで身につけたり宮中や自分の家などに飾ったりしたと伝えられます。このころはおもに女性のための行事でしたが、武士が世の中を治めるようになった鎌倉時代から、男の子の節句とされるようになりました。かつて旧暦の5月5日の行事であった端午の節句は、旧暦から新暦にかわっても同じ日に行われています。端午の節句に供えられる食べ物といえば粽ちまきと柏餅で、関東地方では柏餅が主流ですが、関西地方では粽が一般的のようです。中国から伝わった粽は、楚そのくに国の詩人の死を供養するためのものが始まりといわれ、当初は日本でも、端午の節句には粽が食べられていました。一方、柏餅は日本独自のもので、江戸時代中期ごろから食べられるようになりました。柏の木は新しい葉が出るまで古い葉が落ちないことから、子を絶やすことなく子孫繁栄につながる縁起のよい木とされ、柏の葉であんの入った餅を包んだ柏餅は、端午の節句に欠かせない縁起物の食べ物となりました。柏餅のあんの素材である小豆には、貧血の予防に効果的な鉄分や、造血の手助けをしてくれる亜鉛が含まれています。また、食物繊維は便秘解消に、抗酸化作用のあるポリフェノールは若さを保つ、利尿作用のあるサポニンやカリウムはむくみ解消にと、うれしい効果も期待できます。さらに、柏の葉にはオイゲノールという芳香成分が含まれていて、抗菌作用や抗ウイルス作用、防虫作用があり、柏餅の保存性を高める効果もあります。●愛媛県松山市中島までのアクセス:高浜港と三津浜港から大浦港、神浦港まで、高速船で約30分、フェリーで約1時間~1時間半(高浜港は伊予鉄道高浜線高浜駅からすぐ、三津浜港は伊予鉄道高浜線三津駅から徒歩約10~15分)などお問い合わせ:松山市 まちづくり推進課TEL:089-948-6816E-mail:sakanoue@city.matsuyama.ehime.jp目の前に青い海と多島美が広がる「姫ヶ浜ビーチ」※写真提供:松山市 まちづくり推進課中島汽船の旅客フェリーで中島へ山の斜面にみかん畑が広がり、その向こうに海や小島を望む※写真提供:松山市 まちづくり推進課毎年8月下旬に2日間にわたって開催される「トライアスロン中島大会」※写真提供:トライアスロン中島大会実行委員会「トライアスロン中島大会」感激のゴールイン!広島県広島尾道今治瀬戸内海新居浜中島松山愛媛県高知県大浦港JR予讃線中島野忽那島睦月島伊予鉄道高浜線神浦港釣島興居島伊予和気駅三津浜駅松山市高浜港高浜駅三津浜港三津駅Healthy Life端午の節句に「柏餅」を食すのはなぜ? 海水浴客とトライアスロン大会でにぎわうみかんの島「中なかじま島」

元のページ  ../index.html#15

このブックを見る