Labo_No.544
11/16

私は、約10年臨床検査センターに勤務していた。その間、関わった検査は、尿の沈殿物を見る尿沈渣、身体の中の胸腹水や髄液などの体腔液を調べる一般検査に、血液の凝固検査や輸血の検査をやっていた。その中でも主にやっていたのが、尿沈渣や体腔液の形態学だった。光学顕微鏡の中の世界は、小さいミクロの世界で、白血球の細胞がキラキラと輝く姿や、赤血球のさまざまな形をして私を驚かせる姿。ダニが混入していた日には、私たちがどれほどの恐ろしい生命体と共存しているかと思う日もあった。私にとって顕微鏡の世界は、宇宙船に乗って、宇宙服を着て、世界中の人々が知っているのにまったくその全容を知らない月のように、細胞という星をくまなく観察して、次世代の文明にある種の影響を与える。そんな小さくも大それたやり甲斐が、検査を続けていく励みであった。体」の声を聞く。それが私たちの仕事である。目視で観察し、検体を攪拌するときには、細胞のザラつきや滑らかさを手で聴く。そして、鏡検してあらゆる細胞を一つひとつ診ていく。この細胞は良性だ。悪性であれば、それを伝えれば患者さんが助かるかもしれない。では、どちらでもない場合は?ど、生化学検査の結果はあまりよくないなぁ……。先生わかってくれるかなぁ……。検査センターの臨床検査とは、物言わぬ「検こっちの検査は大丈夫だけ難しさの一つは、先生と直接話す機会が少ないということだ。「この患者さんは、なんだか、他も悪いかもしれません。他の検査もしたほうがいいかもしれません」そんなこと、伝えたくても伝わらないのだ。だから私にとって大切なこと、それは検体の声を聴き、検査結果について言葉を紡ぐように伝えること。私たちが患者さんと話すことはない。話すのはお医者さんや看護師さん。しかし、私たちが患者さんと唯一つながるそれは「検査結果」。出た結果の中で、お医者さんにしっかり理解してもらって、より早急に治療に移ってもらう。だから、一つの問題や疑問で立ち止まったら、同僚や先輩の意見も聞く。そして、自信をもって検査結果を出すのだ。どんなに検査結果を正確に伝えても、届くべき人の心に届かなければ治療は始まらない。昔、妊婦検診の血液検査で、白血病を疑う患者さんがいた。でも、次に再度検査に来たのは、その2か月後だった。お医者さんが伝えたいと願っても、患者さんが再度現れなければ治療はできないし、伝わらない。私たちの検査がどれだけの精度を誇っても、何かしらの言葉にしなければ伝わらない。だから私たちは、検体の声を身体の悲鳴の代弁者となって、患者に伝えたいと思っている。「私は健康ですよ!長生きしますよ!」なんて言葉を、検体から私は聞きたい。検査がくれたもの令和5年度第24回一般公募エッセイ香月麻美(35歳/福岡県)「検査がくれたもの」入賞作品紹介優秀賞 11■ LABO – 2024.05

元のページ  ../index.html#11

このブックを見る