Labo_529
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年間、ずっと一緒にいて、気心のも、検査の結果を知って、それをが何をするべきか、その方向性が私が電話口でそう言うと、彼は私が言うと、彼は答えた。順一との「面会」は常に電話でつかはドイツで働くという夢を持っていた順一は、鼻のがんが悪化し、余命3ヶ月と告げられてでドイツ語の勉強を続け、取り寄せたドイツ旅行のパンフレットをめた。「たとえ短くても、満足だったと言える人生を送れたと思うよ」それが順一の口から聞いた最期終えたが、私に、検査の必要性と見える」というアドバイスを残してくれた。今こそ、順一が残してくれたものを生かすときだ――。大学ではドイツ語を専攻し、いも、未来を見失わなかった。自宅熟読し、ベッドの上で内面性を深の言葉だった。彼は25年の人生を「結果が悪くても、その検査結果を受け入れることで進むべき道が鼻のがんい、皮膚科を受診してみると、診て治るようなものではない。外科て、採取したできものは、病理検人、順一のことだった。順一は鼻治療をしてみたものの、もう手遅鼻にできものができたのは、今から10年ほど前のことだった。病院に行くほどのことでもないだろうと思い、放っておいたのだが、できものはだんだん固くなり、黒ずんでいった。何かおかしいと思察した医師は言った。「このできものは、塗り薬を塗っ的に手術をしないとダメだ。そし査に回す。良性の腫瘍か悪性の腫瘍か確かめる必要がある」それを聞いたとき、真っ先に脳裏に浮かんだのは、高校時代の友のがんにかかり、手術や抗がん剤れだった。「お見舞いに行くよ」強く拒んだ。顔のがんというのは強いにおいがするそうで、誰とも会いたくないのだと言う。高校3知れた友人の私でさえ会いたくないというのだから、そうとう強いにおいがするのだろう。なされた。「がんって怖いんだね」「お前も体に異変があったら、すぐに検査をしてもらいな。検査を怖れたらダメだよ。結果が悪くて受け入れることで、これから自分見えてくるんだ」を待った。やがて結果は出た。「検査結果は良性の腫瘍。再発の心配もしなくていい」とのこと検査がくれたもの。それはむや必要性を教えてくれたことによって、私は比較的冷静に検査結果を「検査の結果、良性だったよ」天と、「検査を受けてよかったな。私は鼻の手術をして、検査結果だった。みに結果を怖れるのではなく、結果がどうであれ、新たな道が見えてくるということである。若くしてこの世を去った友人が、検査の待つことができた。国の友人に心の中でそう告げる俺も安心した」、そう言われたような気がした。令和4年度第23回一般公募エッセイ大西賢(49歳/東京都)「検査がくれたもの」入賞作品紹介優秀賞 11■ LABO – 2023.02

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